筆塚<大城氏>ふでつか (上久米田地区)
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   きゅうかつやま・まるおかかいどう みち そば おもて  ふでつか よこめん おおしろししゃくりょうしょう
上久米田の旧勝山・丸岡街道の道の傍に、表には「筆塚」、横面には「大城氏釈了照」
もんていなか きざ   せきひ         めいじ      でしたち     こんりゅう
「門弟中」と刻まれた石碑があります。明治13年に弟子達による建立となっています。
 えどじだい   お      めいじじだい  はじ            ばしょ  てらこや
 江戸時代の終わりから明治時代の初めにかけて、この場所に寺子屋があったというこ
      おおしろし      おやこにだい       てらこや  ひら
とです。 大城氏が、ここで親子二代にわたって寺子屋を開いたということです。
 あき お      はる  せっく    のうかんき    ひら
 秋の終わりから春の節句までの農閑期だけに開かれていたようです。 
 ちく  ころう  はなし     おおしろけ   じ  か     じょうず ひと     せんそう  とき
地区の古老の話によると、大城家には字を書くのが上手な人がいて、戦争の時などに
 せんち へいたい     てがみ だいひつ
は戦地の兵隊さんへの手紙の代筆をしたそうです。
 
  農閑期・・・冬の間の農作業が少なく暇な期間                 <増補改訂丸岡町史>
   
筆 塚