六呂瀬山古墳 (六呂瀬地区)
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 えどじだい   つ   えちぜんめいせきこう みさざきやましろあと いちやじょう きろく    きそよしなか
 江戸時代に作られた『越前名蹟考』には「稜山城跡」「一夜城」とも記録されて、「木曽義
   たびじんしょ  い
仲の旅陣所」とも言われています。
 やま             おね    なんぼく なが へいち         ほくぶ すこ たか はば ひろ
  山の200メートルの尾根には南北に長い平地があり、その北部は少し高く幅も広くなっ
       ふきん  いえがたはにわ・えんとうはにわ  はへん おおく はっけん   ふ  いし い
ています。付近からは家型埴輪・円筒埴輪などの破片が多く発見され、葺き石と云われる
かわらいし さんざい            こふんぐんしゅうち           こふん かたち まる えんぷん
川原石が散在していました。ここは古墳群集地であったのです。古墳の形は、丸い円墳と
しかくい ほうふん あ      ぜんぽうこうえんふん かたち  しゅじく ながさ
四角い方墳が合わさった前方後円墳の形です。主軸の長さは140メートルです。
    こふん   せいき はじ ころ  おかだふち  かわいし ておく    つく          つた
  この古墳は5世紀の初め頃に、岡田淵から川石を手送りして作られたものだと伝えら
 てくりがじょうやまこふん
れ「手繰ヶ城山古墳」ともいわれています。
    こふん  ほくりく さいだいきゅう こふん        い    くずりゅうがわ りゅういき しはい  みぶん
 この古墳は北陸で最大級の古墳であるとも言われ、九頭龍川の流域を支配した身分の
たか ひと こふん                                   こふん こくどう     しんせつ
高い人の古墳であったことはまちがいないのです。 また、この古墳は国道364号線を新
   けいかくろせんじょう             じゅうようせい うった   どうろ  うかい          ほ
設する計画路線上にありましたが、その重要性を訴えて、道路の迂回とトンネルを掘るこ
   こふん ほぞん
とで、古墳を保存することができました。
       
六呂瀬山古墳群の遠景と古墳の位置図 六呂瀬墳群の地形図
出土した家形埴輪 出土した円筒埴輪
六呂瀬山古墳モニュメント 六呂瀬山古墳群