地名「鳴鹿」の由来 ゆらい
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 てんえいがんねん     ころ ふじわらくにさだ さかいぐんない  すいでん つ
 天永元年(1110年)の頃、藤原国貞が坂井郡内に新しく水田を造りたいと、芦原町中
     かすがじんじゃ きがん     くずりゅうがわ  かわかみ たず のぼ      つ
番にある春日神社へ祈願したところ、「黒龍川を、川上に尋ねて登れ」と、お告げがありま
       つ       かわかみ む      さんが          しろしか あらわ   くずりゅうがわ
した。 お告げのとおり川上に向かうと、山鹿の山から神の白鹿が現れて、九頭龍川に立
 みこえ     へい ふりまわ               あた   なるか
ち三声鳴いて弊を振り回しました。それでこの辺りを『鳴鹿』といいます。
かみのしか             あわらちょうほんじょう  かすがじんじゃ みうしな
 神の鹿はそれから西に走って、芦原町本荘の春日神社で見失いました。
               せき      ていぼう              あしあと そ       ほ  ようすい
 そこで鳴鹿の地に堰(川の中の堤防)を作り、鹿の走った足跡に沿って川を掘り用水を
      きゅうじゅうごうようすい
作ったのが旧十郷用水です。
<越前丸岡の民話と伝説>
春日神社(芦原町中番)