【第1章第4話】
納舎は目の前だが、履物は玄関の下足箱にあるので、一旦靴を取りに行かなければならない。この場所からは一番遠い所に児童玄関が有る。 「よしいくぞ、よーい ドン」
3人は、バラバラに児童玄関目指して行動を開始。僕は真っ直ぐ後ろ側の廊下より講堂まで出て、そこから斜めに横切り前の廊下から児童玄関へと走った。下田君は、階の教室の前から職員室へむかい、そこを左に折れて前の廊下を一直線に児童玄関へ向かう。平山君は、僕の後に続いた。小太りの体で息を切らして全速力で付いて来る。
少し込み合っていたが、下校時刻のピークは過ぎていた。ほとんど同時に下足箱の前に三人は着いた。うまい具合に5年生の所には人影はなかった。急いでゴムの短靴を僕はわしづかみにして、履かずに今来たコースを取って返した。脇目も振らず力一杯走った。
「キャー!」
玄関口の廊下より講堂に飛び出した瞬間、3・4人の下級生の女の子と衝突しそうになり、僕はとっさに身を翻して回避したが黄色い悲鳴があがった。
女の子が手にしていたすずり箱が、ガタンと鈍い音を立てて講堂の床の上に落ちた。 「ごめん!、急いでるんや」
息を荒げたまま、ちらっとそちらを見て手を上げて詫びる格好をして、そのまま納舎を目指して走った。
納舎の手前にある男子便所に差し掛かった時、今度はバレーボールを小脇に抱えて便所から廊下に飛び出してきた吉川君とばったり鉢合わせした。他のクラスの3・4人と一緒だったが僕に声をかけてきた。 「やっぱり、いつものあれか?」 吉川君も当然の様に屈託なく僕に向かって問いかけた。 「思った通りや、順番決めるんや急いでいるんで、またあとでな」
顔も見ないで、そう言って廊下の角を曲がった。
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ガラッと納舎のガラス戸を手前に引き、ゴムの短靴を一段下がった土間に無造作にポンと投げ降ろした。カビ臭い空気が澱んで、むっとした熱気が体にまとわり付いてくる。薄暗い土間を一歩一歩足元を確かめ、ほとんど手探り状態で桶のある場所にたどり着いた。
桶の置いてある場所はすぐにわかった。いつもの炭俵の前の片隅に紙をかぶせてかたずけてあった。まだ誰も来ていない、僕が一番乗りだ。
そっと親指と人差し指で紙をつまみ上げ、横にずらして下に落した。先生が言っていた通り、シャクは中に入れてあった。先日使ったばかりで、桶はじめじめと湿気を含んでいた。洗ってかたづけてあるが、何となく臭ってくる様だ。
その時、外側で人の気配がして、ドンドンと戸を叩く音がした。 「鈴木君、中にいるんやろ、この戸はカギがかかってる」 平山君の声がした。 「いま開ける、僕も中が真っ暗で鼻をつまんだ様で何にも見えんのや」
僕はすり足で歩を進めながら、おぼつかない足取りで外にいる平山君達に声をかけたが、中の様子を知ってか知らずか、一層強く戸を叩き始めた。
あとわずかで、入口と言う所で足元が何かにつまずき、グラッと体が右に傾斜して倒れそうになった。その拍子に汗のにじんだ顔から頭にかけて、蜘蛛の巣がべったりと張り付いて真っ白のネットをかぶったみたいにへばり付いた。 「はよ開けてくれ」 せわしなく戸を叩きながら叫ぶ。 「わかったって言うてるやろ」 そう言いながら、内側から木製のかんぬきを外した。 「さーカギ外したぞ、もう戸は開くはずやけどな!」
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そう言う間もなく力任せに外から戸は開かれて、さっと明るい光が差し込んできた。今日の天候は曇っていて、空に低い雲が垂れ込め、今にも雨が降り出しそうであったが、暗闇からパッと開けた外の景色はまぶしかった。
そんな中に、トラ刈のいがぐり頭が二つ並んで立っているのが見えた。右側にアンパンみたいな顔で、細長い背丈にゴムの短靴を履いた下田君、又反対側には、僅かに背をかがめた様な格好で、悪ガキの代表とも言うべき面構えの平山君が、今にも足の指先が飛び出しそうな、よれよれにくたびれた長靴を履いてこちらをながめていた。
「やっぱり校舎の中から来た方がはええな、僕らの負けや、おい鈴木君なんやその顔 はははは!、白覆面の怪人みてえやな、下田君見たか」 平山君は指さして高笑いする。 「はよ開けって騒ぎまくるで、こんな蜘蛛の巣被ってしもたんやぞ、馬鹿やろめ!」
坊主頭にべったりへばり付いた蜘蛛の巣を手で払い、憮然とした顔で僕は口を尖らせて抗議した。
背中の蜘蛛の巣は下田君が手で丁寧に取り払ってくれたが、平山君は故障した笑い袋状態になってしまっていた。
「よし順番は決まったけど、今日も全部肥料をやるとなると、3回運ばんとあかんのかな?」 下田君の不安げな目が、僕の方をじっと見据えていた。
「最低3回はどうでもやらんとあかんと思うけど、前の時も2回で終わったら先生に見破られて、余分な宿題までも、やらなあかん様になってしもたやろ結局損をするのは僕らやもんな」 こんな話の最中に、すぐそばの音楽室から千鳥足の猫ふんじゃったが聞こえてきた。
「久保先生は、くだらん事は敏感に解るんや、それだけ僕らはマークされてるって事や」 「やっぱりな、全部自分達のまいた種やで仕方ねえけど」
3人は、あきらめとも何ともつかないため息をもらした。
【第2章第1話へつづく】
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