【第3章第3話】
「あっ!」
僕と平山君が短い声を上げた。肥料のたっぷり入った桶は、大きく左右に振動を始めた。その拍子に先棒をかついでいた、下田君の肩からはじき飛ばされるように、モッコ棒が外れ、桶の底が一気に下の草むらにたたきつけられた。
勢いはそのまま前に向かってついている。目をまたたく間もなく、どひゃーと桶は下田君の背中に飛びついて彼と一緒に仲良く草むらに横になった。
「ありゃ、やってもたぞ!」
その信じられない有様を、目の当たりで見てしまった僕達二人は、なす術(すべ)もなくただ呆然と眺めているだけだった。まさかと言う気持ちと、実際に起こってしまった現実が混乱して体は金縛りにあってしまったように、硬く固まってしまっていた。
校庭で遊んでいた生徒数人が、いち早く異変を察知して、畑の草むらの道を一目散にかけて、わいわい騒ぎながら近寄って来る。紅白の体操帽をかぶって、バレーボールを抱えた数人の男子、帰り支度のままでカバンを持って遊具に乗っていた女子、すでに好奇心は丸出し。物見高い性格もこの惨状を目の当たりにして、言葉を失い息を飲んだ。
|
 |
|
僕もどうにか我に返った。信じられない「うそ」の二文字をぬぐうために、改めて状況を再確認した。
「下田君、大丈夫か?」
遅まきながら僕が声をかけた。
「うん何ともねえけど、えらい事になってもたな」
下田君は動揺した目を宙に漂わせて、かすれた声をだした。顔色は心持ち青かった。倒れると同時に、反射的に身を立て直し俊敏に行動し事なきを得たが、とばっちりで腰と背中の一部に文字通り(うん)が付いてしまった。しかしこの程度で済んだのは、まったく運の強いやつで奇跡に近い。
でも現場となった草むらは、転がって中が空になった桶と、一面にこぼれて流れ出した糞尿(ふんにょう)の海と化していた。
もう一つの幸運が有るとすれば、校舎の外れの草むらだった事である。木造のこの東校舎は、南側に当たる場所には窓が無い。校庭で一部始終を見ていた者は別として、少なくとも校舎内からこの騒動を察知するのは不可能である。
臭気が熱気と入り混じって付近に漂い始めた。
|
|
 |
ちょっと降りかけた小雨は今はあがっている。
「とにかく道具だけでも集めておこう、長靴履いてるのは平山君だけや、草むらの真ん中に浮いてる下田君の短靴、それにモッコ棒、取ってきてくれんかな」
僕が、片脇に立っていた平山君に頼んでみた。
「取りに行けってかぁ」
返事は重たい。
「うん、早い事始末せんと、皆集まってくるかも知れんで、とにかく足洗い場まで持って行って防火用水の水で洗おう、長靴もそこで一緒に洗えばいいげ」
どうにか平山君も渋々承諾してくれて、一応道具一式と下田君の短靴は回収した。
ここでもう少し詳しく成り行きを説明しておく事にする。彼の背中に桶が飛びついた瞬間、足を滑らして右に倒れた。桶には勢いが付いていたが、桶は下田君と反対の方向に傾斜して、しばらく間があり、やがて頭を左に向けグルグル回転してどすんと倒れ、桶に八分目程入れてあった肥料はぶざまにこぼれ散乱した。
なにも被害者は下田君のみでは無かった。僕も平山君も多少ではあるがとばっちりを受けて(うん)が付いた。これは運がよかったのか、それとも運がわるかったのか?とにかく散々な出来事だった。この結果に対して僕達三人は、先生にこっぴどく、お目玉をくった事は言うまでも無い。
いつの間にか雨が本降りになり全てを洗い流してくれていた。事ここに至って、天は僕達にあわれみを感じて味方をしてくれたのか。校舎の屋根に止まって、首をかしげて下を眺めていた二羽のカラスは、「あほう・あほう」と鳴きながらどこかへと飛び去った。
【あとがきへつづく】
|
|